史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

景行天皇(火の国)

さて熊県(肥後国磨郡)で弟熊を討った景行帝は、『日本書紀』によると海路から葦北(同葦北郡)に渡ったとされる。ただ地図を見れば誰でも分かる通り、球磨郡と葦北郡は隣接しているので、険阻な山越えを伴うとは言え、わざわざ一旦日向まで戻り、舟で大隅…

景行天皇(熊襲征伐)

熊襲平定 筑紫巡幸と土蜘蛛 熊襲平定 直入の土蜘蛛を討伐した景行帝は、更に南下して日向に到り、行宮を建てて熊襲を討つことを議した。天皇が群卿に詔して言うには、「聞けば襲の国に厚鹿文と迮鹿文という者がおり、この両人は熊襲の武勇の者にして衆類も多…

景行天皇(筑紫巡幸)

統一前の大和朝廷の領土 景行天皇の筑紫巡幸 統一前の大和朝廷の領土 垂仁天皇が崩ずると、太子の大足彦尊が即位した。景行天皇である。この天皇の下で古代日本は初めて統一されることになる。『日本書紀』によると、景行帝がまず着手したのは筑紫*1への巡幸…

垂仁天皇(まとめ)

殉死の廃止と埴輪の起源 垂仁紀略年表 殉死の廃止と埴輪の起源 垂仁帝の有名な治績の一つに、殉死の廃止と埴輪の起源に関する話がある。『日本書紀』に伝えるところでは、天皇の同母帝倭彦命が亡くなった時、その近習者を集めて、尽く生きたまま陵域に埋め立…

垂仁天皇(狭穂彦の乱)

日本書紀に見る狭穂彦の変 古事記に見る沙本毘売の変 物言わぬ皇子 丹波の姉妹 日本書紀に見る狭穂彦の変 続いて『日本書紀』本文では、皇后の兄の狭穂彦王が謀反を企てた話を伝える。皇后が休息して家にいるときを伺い、狭穂彦は妹に語って「汝は兄と夫と孰…