史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

2022-01-01から1年間の記事一覧

神功皇后から応神天皇へ

九州に伝わる伝承 応神天皇と関ケ原 鎮魂の言霊 九州に伝わる伝承 応神天皇と神功皇后にまつわる伝承の中に、昔何かの本で読んだ忘れられない話がある。その著者も書名も失念してしまったのが残念だが、その内容だけは今もはっきりと覚えていて、それは次の…

神功皇后と御子

皇后出産の虚実 神託に告げられた御子 神功皇后の統治期間 宇佐神宮と神功皇后と応神天皇 皇后出産の虚実 正史の『日本書紀』によると、仲哀帝が崩じたのは九年の二月六日であり、皇后の出産は同年の十二月十四日だという。しかし妊娠と出産に関して多少なり…

仲哀天皇の妻子

仲哀天皇の実像 麛坂王と忍熊王とは誰か 仲哀天皇の実像 ここで仲哀天皇の血統をもう一度確認しておくと、父は景行帝皇子の小碓尊(日本武尊)、母は垂仁帝皇女の両道入姫命であり、史書に従えば両親は甥と叔母の関係になる。続いて仲哀帝の子女について記紀…

三韓征伐(神功紀と好太王碑)

以上が好太王碑に刻まれた四世紀後半から五世紀初頭の倭と朝鮮の風景である。そして我々の知る日本史の中には、これ等の出来事に呼応するだけの明確な痕跡がない訳だが、確かに碑文自体は高句麗側の視点で語られているにせよ、その内容が全くの創作であろう…

三韓征伐(好太王と倭人)

高句麗の好太王 高句麗から見た倭の朝鮮進出と百済 新羅を巡る倭と高句麗の争い 倭軍の高句麗遠征と失敗 高句麗の好太王 『日本書紀』の言う皇太后の摂政期が六十余年にも及んだとか、彼女が百歳まで生きたなどという話が虚構であることは誰もが理解している…

三韓征伐(皇后と半島外交)

神功紀に見る皇后の治世(前半部) 神功紀に見る皇后の治世(後半部) 百済記と日本書紀 神功紀に見る皇后の治世(前半部) 『日本書紀』の年号によると、仲哀帝が崩じたのは在位九年の二月のことで、気長足姫は同年十月に新羅へ出兵し、十二月に筑紫で男子…